ありがとうの5日間〈3日目〉

3日目

午前9時から仮設住宅訪問開始。名古屋社協(社会福祉協議会)からのボランティアも参加。午前中はCさんと同行。ほとんどの対応は高齢者の方々との面談である。しかも玄関先でのあいさつを兼ねたものが多い。
困りごとの多くは、窓や玄関の露。壁面から流れ落ちてくる。これから冬を迎えようとするのに対応が遅れている。まだ畳が敷かれていないところもある。しかも厚さ20mmという極薄の畳である。本当にこれでいいのか。本格的寒さの冬はすぐ目の前に来ているのにこの対応で充分なのか。

Cさんの実家は、漁業関係の会社を経営されていた。津波で全てを失ってしまったとのこと。復興に掛る時間と経費が、これからの展開に重く圧し掛かっている。それでも今は、できることに精一杯取り組みたいと思いを語られた。何だか多くのエネルギーを逆にいただいているようで、感謝でいっぱいになった。

午後からは、Bさんとの同行。仮設住宅訪問が続く中で、精神障害と見受けられる方に会う。薬の副作用とみられる症状があるが、病院との連携や家族の対応など十分なのか。特に足の親指の変色には注意が必要と思われた。

ある一人暮らしの高齢者の方との面談。「今の生活を思えば、あの津波の時に一緒に死んでしまっていればよかった。これからのことを思うと希望はない。喜べない」。時には笑みも浮かべられるがその表情は硬い。
心の奥底のつらさを思いっきり受けとめられる人との時間を持つことが、これからはより一層大切な支援となるのではないか。せっかく与えていただいた命なのだから、生きててよかったと思えるような人生にしてほしい。生活相談員の皆さんがんばって。

デイケア事業所「エルサポートセンター」を訪問させていただく。仮設である。がしかし、とても仮設とは思えない本格的な支援設備が整っている。毎日30人ほどの高齢者の方が利用されている。ゆったりしたスペースでの支援はうらやましいほどだ。コーヒーをいただきながら、笑顔で説明を受ける。ホッとしたひと時だった。
帰る途中、遺体安置所になっていた体育館に立ち寄った。今はきれいに片付いている。しかし、その中には、なかなか入れない。床が、歪んでいる。遺体の重みだったのか、その時の様子を語られた。
Bさんは、行方不明のお父さんを探しまわった。「700体ほどの遺体を見たが、未だに見つからない。遺体は、最初は、ビニール、毛布、そして遺体収容袋へと、その管理の様子が変わっていった。今思えば、布をめくって、確認する動作がよくできたものだ。服を身に着けていた部分は、損傷は少ないが、手、足、顔は、判断できる状態ではなかった。歯、あざ、ほくろ、爪の形など、どこか特徴を探しまわった。もう二度と、あんな思いはしたくない。だが、まだ父の姿には出会っていない」。つらかったことを話してくださった。

さらに帰りの車の中、Bさんがご自分のこと、実家の事情、家族のことなども、ポツリポツリと話し始められた。傾聴に努めた。つらい時を過ごされ、さらに震災で仮設生活を余儀なくされ、子育てに疲れはて、どうしたらよいか答えを探しておられるようだった。
深い事情も知らずにアドバイスはできない。とにかく傾聴に心掛けた。ただ一言申し上げた。それは、「こんな初対面の私に、よく話してくださってありがとうございました」と。「こちらこそありがとうございました」と返してくださった。正解は見つからなくても、絆が見つかったような、そんな思いがした。

 

・筆者 プロフィール

具志道次(ぐし・みちつぐ)

みやま市在住
天理教幸若分教会 会長

平成23年11月5日から9日まで、福岡県消防防災課の要請により出動となった天理教福岡教区災救隊(災害救援ひのきしん隊)第1班と共に岩手県大槌町へ。現地では生活相談員として活動。